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ハヤトについて



いよいよ、N.Y.での生活がスタートしました・・・

N.Y.を目指して アメリカ人とのふれあい エキサイティングN.Y. 美容師として日本人として
僕は日系のオーナーの店で働くことになり、当初はアシスタント兼スタイリストという条件で、お給料は一週間ごとに150ドル+チップでした。サロンには2名のアメリカ人と、6名の日本人が働いています。アメリカ人50%、日本人50%ほどの客層で、まず誰一人としてクライアントを持たない僕はシャンプーボーイとしてスタートしました。
初めてアメリカ人とシャンプーした時、それはもう心臓が飛び出すくらい緊張したのを思い出します。アメリカ人は“英語が話せるのが当たり前”という感じで話し掛けてくるのですが、辞書を片手にシャンプーは出来ないので、もうただ“スマイル”の連続でした。今考えてみると、その光景はアメリカ人にとって、とても不気味に映っただろうと思います。何を話していても、答えはスマイルだけですから・・・。
  日本のシャンプーテクニックは世界一といわれていますが、この日本式は実に指圧的なマッサージシャンプーなんだなぁと思います。アメリカ人のお客さまには「シアツ、シアツ」と言って喜ばれます。他の高級店に行っても、このようなシャンプーはしてくれません。アメリカ人はとても感情がストレートなので、いいシャンプーをするとすごく喜んでくれます。「グレート!!」とか、「ワンダフル!!」と言う言葉の連続です。僕にとってみれば、「なんて大げさなんだろうなぁ」と思う反面、こんなに喜ばれ、誉められると嬉しくも感じました。でも、実はそこに日本でも仕事の反省点があったのです。
日本にいた頃はこのようなシャンプーをすることが当然で、お店が忙しければその時々に合わせて流れ作業になっていました。お客さまのことを考えるふりをして、実はそうではなく、サロンの流れに合わせていただけだったのです。アメリカでの仕事は、忘れかけていたヘアスタイリストとして一番大切なことを気づかせてくれました。
  一番大切なこと、それは“サービスをする心”です。僕はN.Y.に来て、本当に救われました。あのまま日本にいたら、今頃どうなっていたかと思います。皆さんも是非考えてみてください。一流のヘアスタイリストとはどんな人なのか?有名サロンで働くことが一流と言えるのか?僕はそれだけが一流とは思いません。今、自分に与えられている条件の中で、常にクリエイティブな仕事をすることの積み重ねが、後に一流のヘアスタイリストを作り上げていくのだと信じています。大切なことはお客さまに真心をサービスすることです。そしてその努力の結果が、アメリカではチップという形になって返ってくるのだと思います。相手が気持ちよく感じてくれれば、僕も嬉しくなります。人と人とのコミュニケーションが大切なこと。素直に奉仕しようとする心。そういった一番大切なことをまず最初にアメリカ人とのふれあいの中で教え直されたように感じます。
  サロンでの仕事はとても自由な雰囲気でした。スタイリストの人は、自分にアポイントメントがなければ限度に応じて外出もできます。また、自分のクライアントをたくさん持っていれば、一週間の仕事のスケジュールも自分でコントロール可能です。まさに“アメリカ実力主義の国”だと思いました。自由なお金も、ステイタスも、その人の努力がそのまま反映されるのです。その反面、逆のことも多いですから、努力のない人には残酷な街かも知れません。
N.Y.で仕事を始めた当初は日本語しか出来ないために、日本人のお客さまばかりを担当してきました。自分の中で葛藤が起こったのは、その頃です。言葉は出来なくても、自分のするヘアカットは最高だと思っていましたから、「早くアメリカ人の髪を切りたい」という焦りがあったのです。
  そんなある日、僕にもアメリカ人を担当するチャンスが巡ってきました。そのお客さまはツーリストということもあり、店のボスの「少し通訳をしてやるからカットしてみるか?」という言葉に、待ってましたとばかりに二つ返事で答えました。うれしさと緊張で、僕の心は張り裂けんばかりでした。しかし、結果は無惨なものでした。カットが良い、悪いという以前の問題で、そこに自分の意志を何も表現できなかった悔しさが残り、日本語だったらお客さまにアドバイスできるのに何一つとして自分の良い物を表現できなかった自分が情けなかったのです。その日を境に暇さえあれば英語の勉強をし、へアカットのことよりも英語を話せるようになることが一番の課題となりました。